人には人の乳酸菌

 

どぅーーん!!!

皆さん、おはこんばんにちは。

 

先週の土曜日に体調を崩してから、いまだにおかゆ以外まともな食事がとれていない哀れな男、ジョセフ・ジョースターです。

 

久しぶりすぎて忘れてましたか???

 

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お久しぶりのブログ投稿。

さぼりにさぼって一か月以上たちました。

 

 

大学三年のこの時期、

6月を境に就活する人が周りにも増えてきました。

すると、この時期多く出会うのが

「適性検査」というものです。

こんなもので人の適性がわかってたまるか!

と、思ったり思わなかったりしますが

”適性”ってのはいかがなもんなんでしょうか?

 

色々なことを経験するって大事なことです。

好き嫌いせずたくさん食べるのも大切なことです。

食わず嫌いや、やらず嫌いでいることはもったいない、、、

 

確かにそう。

色んな経験をすることで色んな視点で物事が考えられるし

なにより一度きりの人生もったいない!

 

だけど、

人には”適性”がある。

得意なことも苦手なことも人にはある。

”適性”を見極めての行動も大切である。

そう感じたことがあったのでここに記したいと思いやす。

 

 

先日、高校のサッカー部のころの友人たちと飲んだ。

ドイツへのサッカー留学から一時帰国してきている奴もいて、

みんなに久しぶりに会えるとパッションが高かった。

 

思い出話に花が咲き、非常に有意義な時間を過ごせた。

途中で黒豆は帰ったが、6人で熱いそれぞれの未来の熱い話なんかもして、気持ちよくなっていた。

高校時代、普通科で最も足がくさいと噂された東洋が生んだモンスターが

「クラブ行こうぜ」そう放った。

お酒も入っていたし、行くことになった。

クラブなど行ったことない私は、心底戦えるか不安だった。

しかも始めていくクラブが渋谷のアトム、、、

 

不安と期待を引っ提げて、恐る恐るSPのチェックを抜けて店へはいった。

中へ入ると、

蛍光色のスニーカーにぴちぴちのジーンズをはいている輩がわんさかいた。

まぶしくもないのにサングラスをつけている輩がわんさかいた。

もはや着るのか脱ぐのかはっきりしろと言わんばかりの着こなしをする輩がわんさかいた。

いざフロアにいくと、もはや会話などできない。

爆音が耳を貫き、周りにはぎゅうぎゅうのひとだかり。

 

周りにあわせ、ひとまずリズムに乗る。

とりあえず乗る。時間間隔はすでにない。

周りを見渡すと、一緒に来ていた仲間は見知らぬ奴ら話している。

リズムに乗る。俺にはこれしかできない。

お酒買いに行こう。そう言われ酒を買い、酒を飲み、リズムに乗る。

 

どれだけリズムに乗っただろうか。

どれだけのダンスを踊ったろうか。

 

気が付くと、DJはすでに曲を止めていた。

周りの人は次々にいなくなっていった。

時計の針は朝の四時ごろを示していた。

 

結果として、私は約4時間クラブにただ踊りに来た客であった。

一言も発せず、踊りに踊っていた。

踊りすぎて、この4時間で人間ができ得るであろう動きのすべてをした自信がある。

 

この経験が、何を物語るか。

ここまででわかる通り、私にはクラブは向いてなかった。

二度とクラブなんて来るものかと心に決めた。

そう、私にはクラブといった類への”適性”がなかったのだ。

 

このように、人には得意不得意、向き不向きといった

”適性”があるんです。

就活でも多く出会うであう言葉ですが、考えてもみましょう。

 

今回の修平君のように、

自分の力ではどうしようもない場所で

いかに多くのステップを踏んだところで

なにも意味がないのです。

自分に合った場所で、正しいことをしないと

なにも成果は生まれません。

 

某薬会社のCMはこういいました。

「人には人の、乳酸菌」

 

それぞれには、それぞれの個性が、

それぞれの輝く場所が必ずあるはずです。

だからこそ、私たちは自らの”適性”を追い求める必要があるはずです。

そのヒントは今までの過去であったり、自分の中にあります。

 

さあ、自分にとっての輝ける場所はどこなのか。

”適性”はなんなのか。

探しに出る旅に出ようではありませんか!!

 

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以上、

最近親に、

「あんた本当に無能だね」

と、唐突に言われ夕日を眺める時間が多くなった

浦田直也でした。

 

ps:クラブ好きなやつにろくなやつはいない。

 

 

 

 

 

 

 

ポジティブシンキング

どぅーーん!!!

 

どうも皆さん、おはこんばんにちは。

 

食べることにしか脳がない

のくせしてにんじん食べれない。

 

ド底辺youtuberのたにあちゃこです。

 

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今日はえぐかった。

今日は本当にえぐかった。

ついてないなーって思う日。誰にでもあると思う。

完全にそれが今日だった。

ハイライトで振り返りたいと思う。

 

朝、早起きして運動しようとしていたが安定の寝坊からのスタート。

ここまではいつも通り。なんの問題もない。

慌てていたからか、洗顔と歯磨き粉を間違えた。歯ブラシに洗顔をつけて気づいた。

その時らへんから、およよ?とは感じていた。

家出る予定の15分後に家を出た。

定期が切れていて、改札には入れなかった。

トイレに入ってたら電車が通り去った。

集合時間には遅刻していった。待っているみんなの顔を見ると申し訳なくなった。

自主マスの授業で、「自分ってなんか空っぽだな。」って思ってなんかよくわかんないけどへこんだ。

寝坊したからノーセットで行ったけどみんなにバカにされた。自分では意外といけてると思ってたから意外と来るものがあった。

この辺から今日の覚悟はしていた。

家に帰ると飯がなかった。誰もいなかった。

一人で寂しく外食しに行った。地元の友達誘ったら誰も食いつかなかった。既読10の表示だけがそこにはあった。

このままじゃだめだ。そー思った俺は、ジムに行った。ストレスを解き放とうとした。しょっぱな痛めた。肘が悲鳴をあげている。優しくさすった。

そして、帰り道。ぼーっとしていた。自宅まで運転し、いざ家について駐車しようとしたら、庭の門に車をすった。でっかく傷つけた。そのタイミングで親父が帰ってきていた。処された。

今日はすごいな。なんて思いながら風呂に入ると、風呂わかすの忘れてたことに気づく。そして今はトイレの中にいる。なぜならおなかが痛いから。

 

振り返ると、なかなか中身のある一日だった。

ついてないな、そう思ったことは事実である。

それでも俺は、今日という日があってよかったと思う。

嫌なこと、自信がなくなったこと、怒られたこと。

いろんなことがあったけど、俺はいま全くネガティブじゃない。

むしろポジティブにとらえている。

 

「今日あったこと、体験したことを通じて未来の自分がどうなるか。」

 

そう考えるだけで、嫌なこともどんなこともポジティブに考えられると思う。

これ考えたら一発。すべてが無に帰す。まじで。

ポジティブシンキングすることで、結局は捉え方次第なんだと気づく。

 

寝坊してよかった。たくさん寝れた。

洗顔と歯磨き粉間違えてよかった。歯ブラシ交換のいい機会だ。

定期切れててよかった。それが大事な日じゃなくて今日という日でよかった。

トイレ行って電車逃してよかった。うんちできて気持ちい。

遅刻してよかった。誰も待たずに始めれる。

授業でへこめてよかった。今の自分がわかってよかった。

ノーセットで行ってよかった。べたべたしない。

飯なくてよかった。久々の外食だ。

ジムで体痛めてよかった。準備の大切さが知れた。

車傷つけて怒られてよかった。慣れから目が覚めた。

 

~~してしまった。

そういうネガティブなものを

~~してよかった。

と、言い方を変えて捉え方を変えるだけで、毎日に幸せが生まれる気がしませんか?

何事にも通ずると思う。

嫌なことをそのまま受け入れるのか。それとも、その経験さえも自分に前向きにとらえるのか。

些細なことで、今の人生のこの瞬間は輝く。

せっかく生きるなら、楽しくいきたい。

 

ポジティブに生きよう!

 

 

 

 

 

で、なんで既読無視するん?

ほんま許さへんからな。一生恨むカンナ。

 

 

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以上、辛い物を食べた翌日は必ず腹を下す

 

小島みなみでした。

 

*ただのあほでしょ、またはバカなだけじゃん等の意見は一切受け付けておりません

変わるもの、変わらないもの。

 

どぅーん!!!

 

どうも皆さん、おはこんばんにちは。

 

今日洋式トイレにリアルに7回ぐらい座りました。

 

佐々木希です。

 

 

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人生は変化の連続だ。

5月からは元号が変わって令和になった。

今年は三年生として、学年が変わった。

環境が変わる。立場が変わる。周りも変わる。

季節であったり何かのタイミングの節目では特に変わることはたくさんある。

変わるきっかけも人によって様々だし、色々なことが変わり続ける日々をみんな送っている。

 

どう変化して、どんな変化があって、大事なことはなんなのか?

 

 

1番わかりやすく自分に置き換えると、学年とともに立場が変わった。

 

立場が変わってから、見える景色が変わった。

自分だけのことを考える立場から、他人ありきの考え方に変わった。

それと同時に、今までの先輩たちの見えなかったところが見えるようになった。自分の知らないところで多くの人や物が動いてることも知った。物の見方が変わった。

 

人間関係だってそう。

新歓で誰とも話さずに枝豆と会話してた惨めな自分や、チャイ語のクラスでバーベキュー省かれた哀れな自分もいないし、店員に話しかけられただけですぐ店を出てくような自分はもういない。

いい意味で変われた自分もいる。

 

ただ、変化にもいい変化と悪い変化がある。

 

高校まで夢中で打ち込んできたサッカーと離れ、本気で打ち込める何かがなくなった。

現実を見れるようになった反面、出来ない理由を探すようになった。なんでも頑張ればできると思ってた時の自分はどこかに行ってしまった。

柔軟な発想から、頭が堅いやつになってたかも知れない。

 

正しい変化か、良くない変化か、それがわかるのはある程度時間が経ってからである。

 

そんな、変わることの多い日々や組織、心や気持ちがある中で、変わらないものもある。

 

自分の軸となるもの、気持ち、理由、目標、、

いくら変わるものが自分自身に起きたら、身の回りに起きたとしても、変わらない唯一のものもある。

 

行動や言動の核となるものは、無意識にでも見え隠れしているはず。

 

時間は有限であり、変わりゆく日々も俺たちを無視して進み続ける。

でも、いやだからこそ

立場や居場所が変わって、この流れる時間の中で自分の立ち位置を見失ったとしても、

自分の気持ちだけは見失わないようにしたい。

 

これを見てる生きとし生けるものへ。

自分に言い聞かせよう。

 

見失ってた気持ち、ない??

 

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以上、5000円相当の母の日のプレゼントを電車に放置して水の泡としてしまった貧乏人。

 

ピエール瀧でした。

 

 *彼女がいない現実を真っ先に変えたい

 

組織と個人

どぅーーん!!!

 

どうも皆さん、おはこんばんにちは。

 

携帯を無くして、ちょっとお酒も入ってて、クソリアルに焦ってすぐに警察に連絡しながら状況の説明をしたりしてたら、警察の人がめちゃくちゃ親身になって相談乗ってくれてたんだけど、ふいにその警察の人が「今使ってる電話はどちらのなんですか?」と、自分の携帯で電話しているとゆう、完全なる灯台下暗しを経験し、帰り道ではチャリでこけてベルがどこかへ消えていったあの日は、平成最後の夜でした。

 

リンユーチンです。

 

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人は1人では生きていけない。

必ず何かしらのコミュニティに属している。

家族だってコミュニティの1つだし、大学や会社も組織の1つである。

 

自分が所属しているは、法政大学、自主マス、新倉ゼミ、、、と色々ある中で

今一番活動が活発なのは学団連サッカー部というサークルである。

 

今回はサークル活動を通して感じた組織についてと自分の気持ちを書き記したいと思う。

 

1.2年の時はただ大会にだけ参加するような奴から、サークルの代表をするようになった。

先生もいなければ先輩もいない中で、組織の運営をしなくちゃならない。自分たちが最上級生として、自分のことだけじゃなく周りに目を向けて運営していく必要がある。

 

組織の中に身を置いて、運営していく身になって、組織にとって必要なことで気づくことがいくつかあった。

その中でも特に必要だと感じたことは3つ。

 

1.組織の方向性を全員で共有すること

2.組織での自分の在り方を考えること

3.ぶつかり合うこと

 

1.組織の方向性を全員で共有すること

組織の方向性を決めることは、その組織の基盤を作ることであり、それが元となってこれからの組織は形成されていく。

学団の方向性としては「全国優勝」。

人に笑われようが、達成するからそこはいいとして。

ただ単に、全国優勝をしようと言っても、本当に結果だけにこだわるのか?だったら練習が必要だとか。楽しさを求めつつ結果も求めるのか?楽しさとは?ふざける楽しさ?それとも本気でやり終えた達成感のような楽しさなのか?

話し合いを重ねて、ビジョンを共有しないと同じ方向を向いて走れない。

ビジョンや方向性の共有は1番大事なことの1つ。

 

2.組織での自分の在り方を考えること

自分が1.2年の頃は好きなように好きなことをして自分の都合で行動を決めてた。そしていつも尻を拭ってくれたのは先輩達だった。

人の上に立ったり、組織を動かす身になると、組織の舵を握ることになると同時に、自分を殺さなくちゃいけなくなる。感情よりも優先することがある。

1人だけ突っ走って、後ろを振り返ると誰もついて来てないなんてこともあり得る。

後ろから、いけーっと指示を座りながら出すのか、一緒に肩を並べて走るのか。

ボスとリーダーの違いはそこにあると思う。

組織の象徴としての代表は必要でも、そこで変に尖ったりするのは違うし、トップダウンよりボトムアップの方が、組織としてうまく回る。他の人の視点に立って、自分の行動を決めることも重要であり、時には自分を貫くことも必要である。

 

3.ぶつかり合うこと

簡単なことのようで、1番難しく、1番重要なことだと最近になって感じる。

同じことを言ってても、思っていることは違うってことが多々ある。

実際お互いが思ってることを言わなきゃ分かり合えないことばかりだし、相手の真意をわからずに判断してしまう。

ある人は本気で言ってても、ある人は軽いノリと捉えるかもしれない。

人によっては関係を意識したり、遠慮や不安が強くて言いたいことを言えずに躊躇してしまうこともある。

いかに自分が言いたいことを言えるか。そして、相手が言ってることに聞く耳を持てるか。

何かあるたびに、話し合い、また話し合い、そして話し合う。そうして少しずつ組織としてのつながりは強くなっていく気がする。

 

まだまだ、代表になってからの時間は浅いし、組織としてもまだまだ未熟。

辛いことや、大変なこともきっとこれから待ち受けてる。

それでもやろうと言った以上やらなきゃならないし、覚悟や責任感をもってやらなきゃならない。組織は人の集合であり、みんなの力が必要。1人の力で出来ることなんてたかが知れてるし、協力して色んなことを乗り越えたい。目標達成にはみんなの助けが必要。ぶつかり合うことを恐れずに、一緒に走っていきたい。

 

また、組織は居場所も意味する。

一人一人が違う価値観を持つことは当然の中で、お互いが理解しあえる環境を作りたいし、所属する誰しもがここが自分の居場所だと1年から3年、プレマネ含めて思えるように取り組みたい。

 

頑張ろう、学団。

 

 

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以上、

本日バイトを無断で1時間遅刻してガチでクビになりかけた

ウサインボルトでした。

 

*今年から学団は飲みサーになります

 

 

 

幸せの尺度

どぅーーん!!!

皆さん、おはこんばんにちは。

 

スタバで勉強していると

隣の席に座る誰かの母親たちが

ここにいないほかの母親のことを

笑いながらディスっていて

結局、年齢なんてただの数字でしかなくて

変わらないものは変わらないんだな。

と、少し悲しくなった

 

ピアニー大好き、鈴木ゆゆうたです。

 

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今あなたは幸せですか?

 

そんなこと急に言われても、ちょっと考えてしまう。

本当にこれが幸せなのか?

そもそも幸せを図るものさしがあれば、

幸せに数値があればわかりやすいのに。

 

幸せの尺度についてすこし書きたいと思う。

 

俺の地元の中がよい仲間たちの間では

馬鹿なやつとか、ちょっといじるときに

工事現場で働いてるみたいないじりがある。

土木作業員とか、蛍光の棒回して道案内しているとか。

何を言ってんだと思うと思うけど、実際これ結構おもろい。

まあつまりは、いい大人になって、ろくな職に就いてないとやべーよっていういじりがカタチになっているってこと。

 

俺の住んでいる地域とか、みんなの親が結構しっかりしている地域なだけあってまあ当然なのかもしれない。

 

正直、俺自身もそんなとこがあって。

外出した時に工事現場で働いている人や、ちょっと怖そうな土木作業員をみると、心のどっかで下に見ている自分がいる。

いい年こいた大人がなにしてんだよ。

ばかじゃねーのって。

バカだから単純労働しかできない出来損ないって。

ほんとそいつら低能だなって。

 

本当に幸せなのかなって。

それで楽しいのかなって。

 

表面上で、うわべだけ見て、そう判断している自分を俺は知っている。

これが俺の偏見だということも、性格がひねくれていることも、最低な人間だということも俺自身知っている。

 

そんなあるとき、いつも通り、

携帯をいじりながらBGMがてらテレビをつけていた。

何気ない日だった。

でも、なぜか目に入った。

その日は、そういう日だったのかもしれない。

 

工事現場ではたらいている人がそこにはいた。

 

なぜか目が離せなかった。

 

テレビ越しのその人は、こういった。

「なんでもない仕事だとわかっている。俺じゃなくてもいい、そんなことはわかっている。でも、俺が血汗流して、一生懸命頑張って、完成したこの建物が、この橋が、誰かのために。誰かと誰かをつなぐものになる。そう考えたら、俺は幸せ。俺はこの仕事を誇りを思えるし、俺が作ったんだぞって。息子に胸張っていつか自慢したい。」

 

上辺だけ見て、判断していた自分がいた。

勝手に俺の価値観で人の幸不幸を決めていた。

 

だが彼のその言葉で、分かったことがある。

 

幸せとは何か。

自分が納得できるかどうか。

他人が決めるものでもなく、環境がきめることでもない。

結局はいつも幸せはそこにあって。

人それぞれの背景に物語があって、大切なものがあって

自分自身の信念がそこにあって。

 

幸せと気づくには、時間がかかるのかもしれないし

その瞬間に実感するものもあると思う。

 

お金があることが幸せかもしれない。

人とつながっている実感に幸せを感じるかもしれない。

 

これを機に一度考えてみてもいいかもしれない。

心の物差しをもって、

 

 

自分にとっての幸せはなにか?

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以上、混雑した駅ですれ違う女性にフィジカル負けした貧弱な男

シバターでした。

 

*このブログに存在する事実ははすべてフィクションです。

柴田理恵と付き合います

どぅーーん!!!

どーも皆さん、おはこんばんにちは。

 

私、15日をもちまして21歳になりました。

おめでてーよなあ、おめでてーよ。

 

祝ってない方はまだまだ祝えますのでどしどしお待ちしてます♡

 

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ここまで小中高と、好きなサッカーにある意味縛られて生きてきました。

しかし大学生になると、物事の判断は自分でするようになり、ある程度自由な環境に身を置くことになります。数ある選択肢の中で、決断をしていく、、今回はそんな話をしたいと思います。

 

今までを自分の人生を振り返って見て、大きな決断は二回あった。

1つ目は、市船に入ったこと。

2つ目は、法政に入ったこと。(勉強したこと)

 

どちらも言えることは、その時の普通の選択肢になかったってこと。

市船に入る事になる前は、八千代高校に勉強して入る事を考えていた。勉強しないなんてありえないと思ってたし、中学3年の6月に決まったこともあって、こんな早く決まるなんて周りの人たちを見てもありえないと思っていた。

法政に入ることなんて、スペシャルCの選択だった。毎年、サッカー部の人はサッカー推薦で大学に進学するのが当たり前だった。そんな時に、怪我したのもあって、悩みに悩んで大学には勉強で入る事にした。

 

周りには色々と言われたりもしたけど、出した答えに今は後悔は何1つない。

 

つまり、何が言いたいかと言うと、

「選択肢に縛られてちゃダメだ」

ということである。

 

今、手元にある選択肢の中で

今、自分が知っている世界だけで

今、自分の中の価値観だけで

物事を判断するのは非常にもったいない。

 

今知らないだけでもっと面白いこと、向いてること、楽しい事があるかもしれないのに!

 

例えば、自分は法政の自主マスってやつに入っている。そこではマスコミ関係のことだったり自分が志望するコースについて学ぶ。

 

ここでも言えるのが、

自分が自主マスに入ってマスコミのことを知っていって、マスコミ勉強したからそれ関係に行こうと決めつけてしまうことはもったいないということ。

自分が今いる環境で、判断を決めつけてしまっては、自分が知らない世界・業界なんてものを自分が拒否してるのと変わらない。

 

だから自分は自主マスに入っていることは、答えあわせだと思っている。

ここで、学んで、知識を蓄えて、自分にとっての最適解に対しての答えあわせの材料の1つとして捉えてる。

 

何が言いたいかを簡単に例えると、

俺は可愛いかブスかで言ったら、断然可愛い子が好き。(だと思い込んでいる。)

でもそれは、自分が今まで出会ってきた人や、想像の範囲で決めつけていることかもしれない。

 

可愛いくて、性格良くて、スタイルよくて、エロくて、頭よくて、、、は??

 

前回で、橋本環奈と付き合うと宣言したが、橋本環奈と付き合う事が俺にとっての最適解なのか?そう問いかけると、疑問に感じるところがある。何故そう言い切れる?理由は?、、と。

 

結局は、固定概念や自分のものさしで判断したことであって、そうとは言い切れない。

 

だから知らないことやわからないことにも手を出して、これが正しかったのかと振り返った時に、いかに後悔がないよう胸がはれる選択にできるかどうかを考えるのが重要だと感じた。

 

そこで俺が出した答えは、今の自分とは逆の答えを出すこと。それを材料にして、また自分の糧とする。

 

橋本環奈と正反対。

若い、可愛い、、などなど。

 

結論俺は、柴田理恵と付き合うことを頭に置いて生活していこうと思う。

 

誰がなんと言おうが関係ない。

目線は今じゃない。

未来の為の、今があるなら、俺は今なんてなんにでも投資してやる。

 

大切なのは今ある選択肢ですべてを決めてしまわずに

より多くの選択肢を求めることだと思いました。

 

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以上、この前横浜の占いで

「あなたここ3ヶ月で死ぬよ」

と宣告され、毎日ビビリにビビってるコオロギでした。

 

身の丈は自分で決めるもの

 

どぅーーん!!!

 

どうも皆さん、おはこんばんにちは。

 

銀行残高212円。

給料日は20日

昨日、今朝親に頭下げて諭吉もらいました。

 

イカの残高が足りず、チャージしようとするも現金が足りるわけもなく、クレカではチャージすることができなかった結果、駅員さんに話したら無料で改札を抜けさせてもらえた幸運の男

 

是枝一樹です。

 

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この世の全ての事象・結果には

かならず原因がある。理由がある。

 

そんな言葉を耳にすることが今までで何度かあったと思う。

 

ってことは、

 

 

「好きか嫌いかでいえば、、、まぁ嫌いかな」と、真顔で可愛い子に言われたことも。

初めて行ったインターンの初日で上司にはまることも。

動画を切り替えた瞬間黒いディスプレイに移る自分の顔にめちゃくちゃびっくりすることも。

 

 

全て因果関係がある。

どんな結果にも理由がある。

 

結局、どんな結果でも理由はすでに存在している。

 今この瞬間が、すべての理由であり原因なのだから、未来なんて決まっている。

 

 

 

 

 

 

 

果たして本当にそうだろうか?

 

 

たしかに、どうしようもないことや理不尽なこと、決まりきっていることは沢山ある。

 

でも、それがこの世の全てではないってことを知っているはずだ。

 

やってみなければわからない。

やってみる価値はある。

 

例えば、俺が今から橋本環奈になりたい。

といったとしても流石に無理。

シンプルに不可能な話。

 

でも、俺が橋本環奈と付き合いたい。

そー言った時、果たしてそれは無理なのか?

多くの人が無理に決まってる。

そんなことできっこないというと思う。

いいや、違う

否、そうじゃない。

同じ時代に生きた奇跡、それを噛み締めながら自分のできることをすれば不可能なんてこの世にはない。

 

橋本環奈の幼馴染と自称する友人がいる。

そいつから過去の橋本環奈を調べて調べまくって住所がわかるかもしれない。

行動範囲を予測して、偶然を装って道端でばったりぶつかってみたりすれば運命の出会いと錯覚するかもしれない。毎回スタジオに観客としていれば、いつも見に来てくれる人として、認知されるかもしれない。橋本環奈のマネージャーになれば、わんちゃんあるかもしれない。

 

人間、はなっから無理だと。

お前じゃ無理だと。

お前とゆう"原因"では付き合うと言う"結果"はついてこない。

 

 

そんなの誰が決めたのか?

誰の基準なのか?

身の丈を決めるのは自分だけで十分な筈だ。

他人が勝手にイメージした身の丈で生きてるわけではないはず。

他人の評価で、他人の物差しで、他人の裁量で生きたところで、残るものは虚無感だけ。儚さが残るだけ。

 

大きいことを言ってもいい。

等身大の自分より大きいことを言ったっていいじゃないか。

どんだけ背伸びしても、地に足さえついてれば

誰になにを言われても、どんな大きなことでも言ってやろう。やってやろう!

 

 

#働かなくてもお金が入りますように

#来世は白石麻衣になれますように

#○てぃんがおっきくなりますように

 

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以上、バカリズムのビデオデッキのネタを今度じゃん負けで友達と実践する計画を密かに立てている

 

クロロ=ルシルフルでした。

 

 

 

#将来の夢は西野七瀬の左手の中指