幸せの尺度
どぅーーん!!!
皆さん、おはこんばんにちは。
スタバで勉強していると
隣の席に座る誰かの母親たちが
ここにいないほかの母親のことを
笑いながらディスっていて
結局、年齢なんてただの数字でしかなくて
変わらないものは変わらないんだな。
と、少し悲しくなった
ピアニー大好き、鈴木ゆゆうたです。
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今あなたは幸せですか?
そんなこと急に言われても、ちょっと考えてしまう。
本当にこれが幸せなのか?
そもそも幸せを図るものさしがあれば、
幸せに数値があればわかりやすいのに。
幸せの尺度についてすこし書きたいと思う。
俺の地元の中がよい仲間たちの間では
馬鹿なやつとか、ちょっといじるときに
工事現場で働いてるみたいないじりがある。
土木作業員とか、蛍光の棒回して道案内しているとか。
何を言ってんだと思うと思うけど、実際これ結構おもろい。
まあつまりは、いい大人になって、ろくな職に就いてないとやべーよっていういじりがカタチになっているってこと。
俺の住んでいる地域とか、みんなの親が結構しっかりしている地域なだけあってまあ当然なのかもしれない。
正直、俺自身もそんなとこがあって。
外出した時に工事現場で働いている人や、ちょっと怖そうな土木作業員をみると、心のどっかで下に見ている自分がいる。
いい年こいた大人がなにしてんだよ。
ばかじゃねーのって。
バカだから単純労働しかできない出来損ないって。
ほんとそいつら低能だなって。
本当に幸せなのかなって。
それで楽しいのかなって。
表面上で、うわべだけ見て、そう判断している自分を俺は知っている。
これが俺の偏見だということも、性格がひねくれていることも、最低な人間だということも俺自身知っている。
そんなあるとき、いつも通り、
携帯をいじりながらBGMがてらテレビをつけていた。
何気ない日だった。
でも、なぜか目に入った。
その日は、そういう日だったのかもしれない。
工事現場ではたらいている人がそこにはいた。
なぜか目が離せなかった。
テレビ越しのその人は、こういった。
「なんでもない仕事だとわかっている。俺じゃなくてもいい、そんなことはわかっている。でも、俺が血汗流して、一生懸命頑張って、完成したこの建物が、この橋が、誰かのために。誰かと誰かをつなぐものになる。そう考えたら、俺は幸せ。俺はこの仕事を誇りを思えるし、俺が作ったんだぞって。息子に胸張っていつか自慢したい。」
上辺だけ見て、判断していた自分がいた。
勝手に俺の価値観で人の幸不幸を決めていた。
だが彼のその言葉で、分かったことがある。
幸せとは何か。
自分が納得できるかどうか。
他人が決めるものでもなく、環境がきめることでもない。
結局はいつも幸せはそこにあって。
人それぞれの背景に物語があって、大切なものがあって
自分自身の信念がそこにあって。
幸せと気づくには、時間がかかるのかもしれないし
その瞬間に実感するものもあると思う。
お金があることが幸せかもしれない。
人とつながっている実感に幸せを感じるかもしれない。
これを機に一度考えてみてもいいかもしれない。
心の物差しをもって、
自分にとっての幸せはなにか?
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以上、混雑した駅ですれ違う女性にフィジカル負けした貧弱な男
シバターでした。
*このブログに存在する事実ははすべてフィクションです。