適応の先の自分

 

 

どぅーーん!!!

 

どうも皆さん、おはこんばんにちは。

 

最近、ゲイバーで

49歳のメガネをかけた禿げている

自称ピーターと名乗るおじさんに

何か大切なものを奪われた。そんな気がしてやまないゲイに人気の

尻田プリ男です。

 

 

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「生き残る種とは、最も強いものではない。

それは、変化に最もよく適応したものである。」

 

かの有名なダーウィンが残した名言です。

 

人は環境によって

自分の立ち位置を決め

その環境に適応しなくてはなりません。

 

適応という言葉を聞いて

なじむ、溶け込む、対応する、柔軟と

連想できる言葉はたくさんありますね。

 

その場に適応できないと、自他ともに

気持ちのいい気持にはなれません。

 

人は、失敗することや嫌なことを

経験すると最も教訓になるといわれています。

ここでは私の適応できなかった事例を用いて

適応の大切さについて再確認しましょう

 

〜環境への適応〜

私はよくお腹を下します。

ほとんどのみなさんがご存知だと思います。

そうすると、必然的にトイレに行く回数が多くなるんです。

小学生の頃、イナズマイレブンが流行りましたね。小学時代は、千葉市の方のクラブチームに所属して、毎週のようにクラブのバスに乗り遠征していました。お腹が弱い自分はパーキングやコンビニで止まるたびにトイレにお世話になっていましたが、そこで問題が起きました。

友達とバスで盛り上がった気分のまま、コンビニの洋式トイレに向かい、

「エターナルうんこ、ブリ!!ザード!!!」

と、大きな声で吹雪士郎の大技を吠えながら

う○ちしていたら、ドアの外からめちゃくちゃに歳こいたおじさんに「うるせぇよ!!」

と、コテンパンに怒られました。

 

大学一年の頃、バイトで欅坂46の握手会の剥がしのバイト(お時間でーーすの人)をやる機会がありました。人気メンバーの渡邉理佐の剥がしを経験しましたが、ちょーど休みのところで、スーツを身にまといながら障害者用トイレでう○ちしていました。

いつもの家とかでの癖で、つい鍵を閉め忘れてしまい、メガネでチェックシャツのいかにもといったヲタクのおじさんが入ってきてしまいました。

「鍵ぐらいし、閉めてやれよ!頭おかしいんじゃねえのか!!く、くそが!!照」

そうなりますよね。顔はそっぽ向き恥ずかしがりながら出て行きました。

 

環境への適応とゆうのはとても大切です。

この例の場合、バスでの楽しい雰囲気を公共の場に持っていかない、

家などと公共の場の判断をしっかりとする必要があるとゆうことです。

 

 

〜組織への適応〜

みなさん言わずもがな、私といえば知る人ぞ知るスーパーフットボールプレイヤーです。名前を聞くだけで奮い立たせるほどの力は学生時代、あったでしょう。

そんな私が、大学に入ると心機一転、サークルに入りました。

予想がつくかもしれませんが、そうです、やらかします。

インハイ優勝の実績のあるチームからの使者とゆうことで、そのノリを完全にサークルに持ち込みます。市船といえば、対人のところが最も問われると言っても過言ではないでしょう。

サークルで外では女子がキャッキャと。ピッチ内では楽しくやるサッカーに1人の削り屋が爆誕してしまい、初めて見た先輩方は心底驚いたことでしょう。楽しいはずのサークルを地獄絵図にしました。

 

環境の変化、ここでは所属する組織の変化とゆうものは、誰にでも訪れることです。

その変化にしっかりと対応することが求められます。

その組織にあった自分の立ち位置を確立することは大切だといえますね。

 

 

適応するとゆうことは非常に簡単なことではありません。

しかし、適応することで身の振り方や、他人との接し方がやりやすくなる事は言うまでもありません。

 

みなさん、この変化の多い時代に、適応することの重要性を再確認しつつ、全てにfitして、自分とゆう存在を確立していこうではありませんか!!

 

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以上、足が異常に臭い野本幸太郎でした。

嘘です。

口がありえん臭い半田尚志でした。

最初の一歩が全て

 

 

 

どぅーーん!

 


みなさん、おはこんばんにちは。

 


だいたい集団写真を撮るとき

上手くポジションが取れなくて

最後列もしくは両端のどっかにいる

存在感薄めの寺田心です。

 

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人と関わり合って生きていく人生。

一人では生きていけませんね!!

そんな中、必ず出くわすのが

"第一印象"です。

 


「私絶対最初に〇〇かと思ってたって後になって言われるんだよねー」

「人見知りで、初めましてはどうも苦手で、、(俺)」


そんなん言うてる場合ではありません。

第一印象、つまり最初の一歩を間違えると

とんでもない結果が待ち受けています。


ではここで、ある人物の失敗談を振り返りましょう。

 

 

 

①高校時代

 


サッカー部にて、走り方がスカしてるとの理由、また、敬語がうまく使えない舐めた野郎だと思われ最も過酷と言われるボール係に任命される。(不可避のはまり)

 


その後、練習中のゴールで喜び過ぎたあげく、グラウンドに正座させられ先輩から説教をうける。(コーチは見て見ぬ振り。あっぱれ)

 


#起死回生のギャグにより比較的気に入られることに成功し、なんとか一命を取り留める。

 


同期といる時が唯一の救いだった当初、

クラスでもサッカー部のやつと騒ぎ過ぎて

サッカー部以外からやばいやつだと一目置かれる。そして、距離を置かれる。故に、嫌われる。

 


#まともな人間であることを徐々に理解させ、なんとか一命を取り留める

 

 

 

②大学時代

 


今までサッカーを通じて新しい環境で友達がゼロという経験をしたことがなかった自分。

初めてのゼロからのスタート。


サークルの新歓飲みでは、人見知りという看板を背負って表情からして負のオーラを纏っていた自分は、上手く馴染めずにまともに人と会話することなく枝豆とオレンジジュースとひたすらに向き合う2時間を過ごす。


唯一、年間通してクラスで行われる中国語の授業にて、たまたま隣に座った気弱そうな子から友達になろうと、市船でマウントを取ろうとしたところ、「市船って何?知らないや」と、予想だにしない右アッパーを喰らい、それ以降、人と話すことに恐怖心を覚える。

そのうち、自分以外が参加しているグループラインの存在を知る。参加した時には、みんなのバーベキュー楽しかったねの写真のアルバムが会話に並んでいた。

(このクラスが2年間同じとゆう地獄をこの時の僕は知らない)

 


#一度命を落とした後、同じく陰キャとして息を潜めていたサッカープレイヤーと仲良くなり、なんとか一命を取り留める

 

 

このように、人間は最初の第一印象で下手すると、その後の生き方・過ごし方、全てがうまくいかなくなる。

 


なんとか今は優しい周りの人々によって生きられているが、またいつ同じ過ちを犯すかわからない。出会いと別れの春。春が来るたび、またあの頃の恐怖が降り注ぐ。

 


自身の失敗談から、ぜひとも皆さんには気をつけていただきたい。

これから新しい環境に身を置く人が多くいると思う。

 


第一印象は、

その人と出会って2秒である程度決まり、

7秒後には第一印象が決まるという。

 


最初は本当に肝心である。

声の大きさ、表情、全てが影響する。

いいように思われて、悪いことはないはず!

 


これだけは覚えておいて欲しい。

 


「第一印象だけはまじで本気だす」

 

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以上、

ついこの前、ゼミの初めての集まりで

身の振り方がわからず、電話がきたふりをして

外で一人で空を眺めていたチェ・ホンマンでした。

 


どぅーーん!!!

#頼むからみんな俺に優しくしてくれ

 

 

 

 

 

 

理由の欠席

~人の夢笑っていいのは冒険が始まる最初の村の雑魚い出っ歯の帽子被った奴だけ~ 

 

 

どぅーーん!!!

 

どうもみなさん、おはこんばんにちは。

 

中学校時代の卒業作文を振り返ってみると

あまりにど滑りしてたので、心配になって親に

「俺ってどんな子だった?」

と聞いたら、

「今も昔も変わらず愛くるしい子」

と、誰もが予想しなかった急展開を迎え、

心の準備が出来てなく、不意に

「ママ、、、」

と、ほっこりした雰囲気かと思われた瞬間

兄貴が

「うるせえな死ねよ」

と言ってきたので、兄貴の保険証と免許証隠しました。

あーゆー奴は死ねばいい。

 

あ、いけない。柊先生に怒られるかもしれない。(3年A組参照)

 

越前リョーマです。

 

 

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カフェで一人でいたときに(それに関しては触れないでほしい)

近くにいた三人組の男子中学生たちの会話を聞いて(盗み聞き)

少し思うところがあった。から、書く。

 

人それぞれ得意なこともあれば苦手なこともある。

至極当然の話である。

 

同様に、

人には好きなこと、

そして苦手なことがある。

 

ここで大事なのは、好き嫌いと得意不得意が

必ずしも比例しないってことである。

 

俺はサッカーが好きだ。

これは昔から、そして今も好きである。

物心ついたころには近くにボールがあった。

運動することが好きだった。

色々なことがありつつも順調に成長していった。

 

そんな中、高校入学とともに出くわしたのが

”上には上がいる”という世の条理。

 

一年生の頃は

将来の夢はプロサッカー選手です。

胸張って言えてた。

なんやかんやイケイケだったから。

それから二年、三年になると

クラスでプロになりたいって

言えない自分がどこかにいた。

プロになった先輩たちの姿、

 プロから声がかかっている、そしてプロになっていったクラスメート。

彼らの背中を見て、

現実を知って、理想ばかり口に出せなくなった。

 

それから将来のことで

不安を感じるようにもなった。

自分をふりかえっても

サッカーしかしてこなかったのに、夢だけ追いかけてきた俺からサッカーとったら何が残るんだ?

なんて悩むこともあった。

今でもそう思うこともある。

 

あの環境に身を置いたことで

俺は特技はサッカーですとは言えなくなった。

運動神経がいいとも言えなくなった。

大きすぎるものを見てきたから。

 

ただ、そんな苦手なサッカーも

心から好きだといえる。

うまい下手関係なく、好きといえる。

下手でもサッカーが好きだ。

 

まあこれは一つの例として。

 

時に人は、

好き嫌いと得意不得意をつなげてしまう時があると思う。

全然うまくないのに好きって聞くと

下手なのに好きって。ワロタ

嫌だ嫌だ言ってるわりにすごい出来がいいのを見ると

嫌いだけどうまいって憎らしい奴、、

そんなふうに色々と思うこともあると思う。

 

日々の中で、

どうして??

とか

どうして好きなの?

どうして嫌いなの?

なんでなんで?

と、理由が聞かれる。

大人と話すときなんか特に”根拠”が求められる。

なにかの結果には必ず原因がある。

因果関係が存在すると。

 

力がなくてここまで

わかりづらくなってしまったと思うけど

結局なにが言いたいかというと

 

「そこに理由なんて必要なのか?」

 

ということである。

 

なにかが好きだということに、

なにかに興味をもったことに、

はたして理由などいるのだろうか。

 

純粋なこの気持ちに

得意不得意なんてもので

決められるほど単純なものなのか?

 

例えば、

もし君が何かを目指しているとする。

それが得意でも不得意だとしてもそんなものは関係ない。

なんで下手なのに、才能ないのに、センスないのに目指しているのか?

そんなこと聞かれても、こっちは知らない。

だってそうでしょう?

目指してしまったもんは仕方ないでしょう?

理由なんてそこにない。

目指している。その事実だけで充分。

 

たとえ人に無理だといわれても、

もし君の中に好きって感情や

目指すべき姿があるのなら

追いかけるべきだし、そこに理由なんて必要ない。

 

 

さっきお前、現実みて口にできなくなったとか言ってなかった?

そう。

だから俺の夢はそこまでのものだったんだと思う。

怪我とかいろいろあってサッカーを辞めざる得ないことになった。

どんな環境になっても本気の夢なら

いまでも努力して目指してたはず。

それでもあきらめたってことは

それまでのものだったんだと今では思う。

 

だからこそ。

夢を前にして感情よりも

現実的に論理的になってしまった俺だからこそ。

言いたいことがある。

夢を持つ人へ。

夢へ突っ走っている人へ。

こんな俺だからこそ、伝えたい。

どんな状況でも

心の奥底に好きだという感情、目指したいという感情があるのなら

そこにたいそうなものは必要ない。

自分がなりたい姿に、目標に全力で走ろう。

 

その夢は苦手だからってあきらめられるようなものなのかい?

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以上、

小学校の時の夢は、左利きになることだった

黒川明人でした。

 

どぅーーん!!!

*ふざけないとアレルギー反応が出るので次回からちゃんとふざけたいと思う。

 

 

報われない努力はどこへ行くのか?

~振り返ると輝くこともあるんだよって話~ 

 

 

どぅーーん!!!

 

どうも皆さん、おはこんばんにちは。

 

小学校の時に

下駄箱に入っていた

名前のない、誰からかわからなかった

バレンタインチョコ。

つい先日、友達がもらいすぎて

いたずらついでに入れたことが判明しました。

俺よりもそれはチョコあげた女の子に謝っとけ。

 

高畑裕太です。

 

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なりたい姿がある。

なりたいものがある。

目指すところがある。

落としたい女がいる。

達成したい目標がある。

夜ごはんはハンバーグが食べたいな。

かなえたい夢がある。

 

だからこそ

人は努力する。

目標に対して努力する。

自分に足りないこと・弱点に目を向けて

きっと見れる景色を想像して

人は努力する。

 

でも

残念ながら

すべての人の努力が実を結ぶ、なんて

そこまで世界は甘くない。

目指している姿が大きければ大きいほど

その分努力は振り向かない。

 

世の中の努力はたいていうまくいかない。

本気で何かに対して努力してきた人ほど

努力の怖さを知っている。

 

「なら、実を結ばなかった努力は無駄だったのか?」

 

全力を尽くして取り組んだあれは、叶わなかったから無意味だったのか。

本気で目指したあの時間は、無駄だったのか?

希望通りの結果にならなかったから、今までのことはなかったことになるのか?

 

そんなことはない!!!

そう断じて言いたい。

 

スポーツでAチームで試合に出れなかったこと。

時間を忘れて必死に自主練したこと。

志望校に向けて寝る間も惜しんで勉強したこと。

好きな子に相手してもらおうと頑張ったこと。

いきたい企業に向けて準備したこと。

理想に近づくため怪しい錠剤を買ったこと。

食堂で寝たふりをしながら空きコマをつぶしたこと。

 

誰だって一度や二度、いやもっと

努力に裏切られたことあると思う。

 

期待の結果が訪れなかったから

それまでのこと全部パー。

そんなこと、あるだろうか?

 

たしかに、その瞬間は

意味なかった。

時間の無駄だった。

そう思うこともあるかもしれない。

 

だけど時間がたってから

努力の日々を見つめなおすと

無駄ではなかったと思えるのではないか?

 

全力で取り組んだからこそ

本気で取り組んだからこそ

得られたことがあったはず。

今の自分に生きていることがあるはず。

 

結果がすべてなのか。

そうじゃない。

目に見える結果だけがすべてなのか。

そうじゃない。

 

努力した日々に、

取り組んだそのプロセスに

大事なことがあるのではないか。

 

人間は結果を求めるものだし、

結果が一番わかりやすい、

努力を判断するうえでも

一番わかりやすいし測りやすい。

 

でも、誰かが決めたその基準で

世間が決めた物差しだけで

その努力はきめられるのか?

 

自分がした努力がどうだったのか、

判断するのは誰でもなく

まぎれもない自分だ。

 

結果に執着するのもわかる。

でも、結果からしか得られない努力は

本当の努力といえるのだろうか?

その過程からも得られる努力こそ

本当の努力といえるのではないだろうか。

 

もし、その努力が

実を結ばなくたって

「いやあダメだった!!!!」

そう言い切れる努力を

していきたいし、

後悔はあっても未練は残らないような

そんな努力の日々を送りたい。

 

どんな結果であれ、

それは自分のやってきたことの

積み重ねで、良くも悪くも自分のせいなのだから。

 

 

って、隣で寝ながら

三歳の妹が寝言で言ってた!!!!

(懐かしの登場)

(短期留学からの帰還)

(愛すべき妹)

(努力せずともすべてを持っている女)

 

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今回はボケがほぼないに等しい読む価値なしの投稿でしたが見てくれた人に少しでも響いていてくれたらと思う。

 

以上、返事するときは自分の名前を言っだけで

了解の意図を伝えることができる李忠成でした。

 

どぅーーん!!!

*受験、就活、お疲れ様。

 

 

 

 

 

 

 

この足はどこに向かうのか?

~行動の在り方~

 

 

どぅーーん!!!

 

どうも皆さん、おはこんばんにちは。

 

ある動画をみていて(何とは言わない)

画面が切り替わるときに

急に画面に見たこともないような

怖い顔したお化けがいました。

いやあ怖かった。

新田真剣佑です。

 

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人は、一人では生きていけません。

すべての人が何かしらのコミュニティに属します。

すると当然、他人と関わることになります。

 

人は他人と関わると色々な感情が目覚めます。

一緒に喜んだり、悲しんだり、、

好きになったりもするし、良いライバルがうまれるかもしれない。

一人では味わえない経験がたくさんある。

 

また、集団・組織にいると

人には優劣がつきます。

 

悲しいことに

どんなに平等をうたっていようと

心の中に優劣は生まれてしまいます。

得意不得意、上手不上手、、

 

すると人は、

嫉妬を覚えます。

目が、周りに向きます。

意識が外に向くと、

行動が外に向きます。

行動の基準が自分から、周りの影響で決まるようになります。

 

そんな中で、

行動や言動はどうあるべきかということを考えていきたい。

 

どうしてあいつはこうで

おれはこうなんだ、、

 

俺じゃなくてなんであいつが選ばれるんだ、評価されるんだ

 

集団に属すると

良いことの反面、こういった問題と出くわすことなります。

 

他人と自分を比べて

いつしか自分が置かれている立場に、環境に

不満を覚えてしまったり。

 

高校時代の部活の監督はこんな言葉を残しました。

 

「自分の行動は、”自分が成長する””どうにかなりたい”という想いだけで十分だ」

と。

 

自分の置かれた立場に

周りの環境に

周りにいる他人に

愚痴を言って、不満を言って、言い訳を作っても

そんな生き方がかっこいいわけない。

自分がこうありたい!こうなりたい!

といった姿にむけて行動をしたほうが

良い未来が待っているはず。

何より自分が一番納得できるはず。

生き方としてかっこいいはず。

 

せっかくの人生。

今置かれたこの環境、この仲間、すべてが運命。

他人にベクトルを向けるんじゃなく

自分自身にベクトルを向けて、成長しようではないか。

 

もし、いま言い訳や愚痴を

環境や他人にたいしてあるのなら

それさえも飲み込んで力にして

努力していこう。

 

 

誰のための人生か。

 

振り返った時、

そのほうが笑ってる気がしなくもないでしょう?

 

 

 

と、いいつつ

この世界には納得できないことが一つだけある。

自分にベクトルを向けろといっても

これだけは文句を言わせてほしいことがある。

 

どう考えても釣り合ってないカップルいるだろ。

なんでお前みたいな舞祭組があんなにかわいいこと、、

ほらあんなところにも、いちゃいちゃと歩いてやがる。

(逆のパターンはそうないよね)

 

あいつのなにがいいってんだ。

くそが!!

くそったれ!!!

金か!?金なのか!?

 

文句をいってきもちよくなったので

画面を切り替えるとまたそこにもお化けがいた。

とても変な顔をしていた。

 

あぁ、俺じゃ無理だ、、、

 

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以上、

嫉妬を愛し、嫉妬に愛された男。

gacktこと加藤諒でした。

 

どぅーーん!!!

*今日も本番に向けて自主練、自主練っと、、

後悔との付き合い方

 ~自分次第で過去は変えられる疑惑~

 

 

どぅーーん!!!

 

どうも皆さん、おはこんばんにちは。

 

蒸気でホットアイマスクをつけて寝た日は確実に朝起きるとどっかになくなっている野村萬斎です。

 

俺だけじゃないよね?

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後悔は人生につきものです。

 

人は生きていると、必ず後悔する瞬間が訪れます。

 

「あの時こうしておけば、、」

「これさえしておけば、、」

「何してんだ俺、、抜くんじゃなかった、、」

「たったの一言、なんで言えなかったのか、、」

「うわあ一日無駄にしたー、、」

「昨日もっと早く寝とけばよかった、、」

 

そうして、

もう後悔なんてしない。

と、心に決めて、、、

それなのにまた新しい後悔を作る。

 

後悔しないように、

もう同じ思いをしないように、

と、縮こまって

やりたいこともやれない

できることもできない

自分らしく生きれない

このように過去における後悔に

縛られて、行動を決めていくことになります。

 

 

「後悔先に立たず」

 

それなのに、人は

後悔をするのではないかと、

まだわからないことに左右されて

決断をします。

 

後先考えず、とりあえずやってみよう精神の人は

世間では”バカ”と呼ばれます。

 

後悔とうまく付き合う方法はないものか?

後悔ってなんなのか?

 

 

自分も生きてきて後悔してきたことはたくさんあった。

 

高校の時、

たまたま調子が良くて

次の週からAチームに行くことが決まっていた時

(それは後から知ったけど)

なぞに自信があって日曜日の試合を

アップすることなく臨んだ。

案の定、その試合で怪我をして怪我をした。

(ちょっと長めのパスを出した金子のことは一生忘れない。)

 

小学の時、

親と喧嘩したときに

生まれたくてこの家に生まれたわけじゃない。

生まれてくる家を間違えた。

なんで俺のこと生んだんだ。

的なニュアンスのことを言ってしまったこと。

12年も前のことなのに

今でも覚えている。

(この事件の後、マザコンといわれる山田君が爆誕する)

 

 

人によっていろいろな後悔があるし

たくさん悩んだと思う。

 

でも、後悔こそが

その人を成長させるきっかけになるし

その人の軸や行動の指針に

なりうるんじゃないかと思う。

 

後悔は過去の自分から学ぶ

自分らしい人生の歩き方を示すコンパスのようなもの。

 

 

あれ以来、準備の大切さを知れた。

コーチ兼担任の先生には

「準備の失敗は失敗の準備」

と、口酸っぱく言われた。

わが身になってやっと気づけた経験。

 

あれ以来、親には感謝の気持ちを

口にはできなくてもちゃんと持っている。

親が恥じないように、自慢の息子でいられるように

行動してきたつもり。

(とか言いつつこんな子に育ちました。両親に謝罪。)

 

捉え方次第では

後悔はネガティブなものではなく

ポジティブなものにできる。

 

後悔こそが自分を知ることにつながり

これからの自分を決める。

だから、後悔を恐れて

自分の殻に閉じこもるのはもったいない。

 

東アフリカのこんなことわざがある。

「道に迷うことこそ、道を知ることだ。」

 

悩んだって

苦しんだって

迷ったっていいじゃないか。

どうせわからない未来におびえて

今を生きれないなんてもったいない!

もし世間がそれをバカと呼ぶのなら

堂々とバカでいようではないか!

 

自分次第で

後悔は後悔じゃなくなる。

 

後悔は振り返ってみないとわからない。

やり返せるかと言われたらそれは違う。

でも、後悔を違うものに変えることはできる。

後悔は変えられる。

過去は変えられる。

 

だから、胸張って決断していいんだよ、友よ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

以上、

 

あることがきっかけでトラウマになり

いまだにいんげんが食べれない織田裕二でした。

 

どぅーーん!!!

*3日に1投稿早くも後悔している

*友への応援メッセージのような雰囲気を醸し出しましたが、当アカウントに友達はおりません。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

優しさは誰のものか

~天国まで届け~

 

 

どぅーーん!!!

 

 

 

皆さん、おはこんばんにちは。

 

最近おならが止まりません!!!!!!

 

有村架純です。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「あいつは本当に優しいな」

「優しすぎるんだよなーあいつ」

「優しさのやの字もねえな」

 

優しさって何なんでしょうか。

 

「あれはお前を思って怒ったんだよ。あの人なりの優しさだよ。」

とか

「え、なに!!買ってきてくれたの!?やっさし~」

とか

 

本当の優しさって何なのでしょうか。

 

誰のとってもそれが優しさなのでしょうか。

 

フル単の天才の

この私、城之内が考えてみたいと思います。

 

プレゼントやモノを通して、

親切にしてあげること、

共感してあげたり、

求められることをして、、

 

これって本当に優しさなのでしょうか。?

 

確かに、その場では感謝されるかもしれません。

 

でもそれってただの

都合がいい人にはなっていませんか。

 

また、

この人はこうだろうから

こうしたらいいんじゃないかなあ

 

と行動して

 

もしかしてそれ

親切の押し売りや

ただのお節介になってませんか?

 

優しさとはなんなのだろう。

 

聞かないことが優しさかも知れない

見守ることが優しさなのかも知れない

あえてかまってあげないのが優しさなのかも知れない

 

でも一つだけ、確かなのは

 

それは、相手を心から思っての

優しさなのか。うわべの優しさなのか。

そこには違いがあるということです。

 

 

・優しさのベクトルはどこを向いているのか

・優しさとは結局なにか

 

 

 

相手だけを思って

これは優しいと思われるだろうという行動は

自己満足になってはいないか。

自分主体の優しさになっていないか。

 

この優しさというものは

自分のために向いてはいないか。

本当にその人を思ってのことなのか。

見返りや感謝を求めての

行動や言動になってはいないか。

 

受け手から考えたら

確かにそれは今助かることなのかもしれない。

必要なことなのかもしれない。

 

でも長期的な目で見たら

手放すことも

怒ってあげることも

ここでいう優しさなのかもしれない。

 

 

何より大切なのは

”本当にその人のためになっているのか”

 

これこそが本当の優しさです。

 

今必要だから、助かると思うから、

と、手を差し伸べるのではなく

相手にとってこれは本当にためになるのか。

 

嫌われてもいい。

見返りなんていらない。

これがあいつのためになるなら

それでいい。

 

それが本当の優しさなのかもしれません。

 

(ただ、自分にも優しくできる人が本当に優しい人なのかもしれません。周りばかりを意識して過ごす日々は疲れてしまうだろうから。自分に優しくできない人が、他人にも優しくできるとは限りませんからね)

 

 

 

 

自分のことだけを思って

叱ってくれた。

多くのことを全力で

語ってくれたあなたの目から

僕はずっと逃げてきた。

 

多くのことを教わりましたが

あの時の俺は、あなたの優しさがわからなかった。

 

あなたがいなくなって

時間がたった今なら

少しだけわかるような気がします。

 

安らかに。

 

今は亡き

木村先生、、、

 

 

 

 

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少しまじめな感じになってしまいましたが

今回は特別な日なのでお許しください。

 

以上、

うんこ味のカレーと

カレー味のうんこなら

迷わずうんこを食べる

堀北真希でした。

 

 

どぅーーん!!!

*尚、本作に登場いたしました木村先生は死んでいません。ご健在です。

#感動を返せ